翌日からしばらくは大変だった。
 今までクマ吉と呼んでいた手前、どうしてもミルファという名前が口を衝いて出てこない。
 その度にイルファさんや瑠璃ちゃんから睨まれてしまい、何度も手痛い思いもした。
 ミルファ本人はクマ吉という愛称にも愛着を持っていたようで、呼び方が変わることを少しだけ惜しんでいたけれど。
 (どうも俺がつけた愛称だから、ということで密かなお気に入りだったらしい)
 そこはやはり女の子。
 愛称もそうだけど、名前で呼ばれるということがよほど嬉しかったようだ。
 しかし、大変なのは呼び方だけではなかった。


 まずは朝。
 姫百合家では目覚ましというものをろくに使っていない。
 というのも、瑠璃ちゃんが珊瑚ちゃんの目覚まし役だった上、瑠璃ちゃん自身は目覚めがよかったというのが原因である。
 しかし、そこで役立たずして何の為のメイドロボなのか。
 という流れで、毎朝家族を起こすのはイルファさんとミルファの役目になったのだけれど。

 「貴明さん、朝で……す」

 姫百合家において、珊瑚ちゃんと瑠璃ちゃんは元々ロフトで一緒に眠っていた。
 その為、空き部屋に住む事になった俺用に新たにベッドが設置されたのだけれど、そのベッドはなぜかダブルサイズの一品。
 なんでまたこんな大きいのを、と不思議に思っていたのだがそれは夜になって納得した。
 珊瑚ちゃん(と瑠璃ちゃん)が一緒に寝ようと言ってくるのだ。
 それも一度や二度ではなく、ほぼ毎晩のことである。
 主に誘ってくるのは珊瑚ちゃんで、瑠璃ちゃんは珊瑚ちゃんが言うから仕方なくといった感じ。
 しかし、流石に俺も健全な若い男の子であるからして、欲望があるのと同時に恥じらいと躊躇いもある。
 欲望に流されてしまうのは楽だけれども、それではプライドが許さない。
 そんなわけで、流石に毎日という訳にもいかず時折は断って一人で寝ているのだけれど……。

 「うに〜……」
 「ふぁ〜……」
 「ん……」

 当然1人で眠れる時の方が少ないわけで。
 昨夜もまた、珊瑚ちゃんと瑠璃ちゃんは俺のベッドで一緒に寝ていたのだった。

 「……またお三方揃って眠られていたんですね」
 「んん……ふぁ?あ、おはよク……ミルファ」
 「おはようございます貴明さん。朝食の準備が出来ていますので準備が出来ましたらリビングまでいらして下さいね。……珊瑚様たちと一緒に」
 「へ?あ……はい」

 ミルファに言われて、両脇に居る2人に気付く。
 もう何度も現場を押さえられているから慣れてもいいとは思うんだけど、やっぱり見られてしまった、という背徳感のような後ろめたさがある。
 後、イルファさんはまだしもミルファが起こしに来た時にこの情景と鉢合わせすると、彼女は決まって不機嫌になってしまうのだ。
 聞くところによると人間と状態は違えどもミルファやイルファさんも『眠り』はするのだそうで、そうなるとやっぱりミルファともその内一緒のベッドで…
 というようなこともあり得てしまうのかもしれない。
 それはそれで嬉しいような苦しいような複雑な心境だった。
 と、そこまで考えたところで意識を現実に戻すと、ミルファが部屋のドアをもう締めようとしているところだった。

 「あ、ミルファ」

 まだ眠りの世界に居る2人を起こさないように、かつ素早くベッドから抜け出る。
 ミルファはちょっとだけぶすっとした顔つきながらも締めかけたドアをもう一度開けてくれた。

 「なんですか貴明さん」
 「あ、えっと、その……」

 ミルファの機嫌が悪いとどうなるかはここ数日で身をもって知った。
 朝のコーヒーが変な味になっていたり、帰ってきてからもつっけんどんな態度のままだったり、酷い時は夕飯が俺の分だけ準備されなかったり。
 流石にそういった態度を続けられては困る。一応俺とミルファも『家族』なんだから仲良くやっていきたいし。
 そんな訳で物凄く恥ずかしいけど効果的な解決法を編み出したのがつい先日だった。
 あぁ、これ確かに効果的なんだけど、やっぱり恥ずかしいよな……でもやるしかないか。
 意を決してミルファの肩を抱く。
 ミルファは一瞬びくっとしたけれど拒みはしなかった。
 そのまま流れに任せてミルファに顔を近づける。

 「んっ……」

 一瞬だけ重なって、すぐにまた離れる。
 軽く唇を重ねるだけのフレンチキス。

 「お、おはようのキス」

 むちゃくちゃ恥ずかしい事を言いながら顔を背ける。
 多分、これで機嫌は直ったと思うんだけど……

 「……貴明さんはいじわるです」
 「へえ?!」
 「いきなりされると思わず許してしまいそうになります。けどそれでは悔しいので……」
 「んぐ!?」
 「ん……これは私からの『おはようのキス』、です」

 にこり、と小悪魔のように笑みを浮かべるミルファ。
 俺も少しは耐性がついたと思ったけれど、やっぱりここの人たちには叶わない、と思った。




















 To Heart2 Side Stories
 Dream Life 第3話『日常』と『友人』




















 それから結局珊瑚ちゃん、瑠璃ちゃん、イルファさんともおはようのキスをして朝ごはんを食べて登校。
 最早キスという行為が日常化してしまっているような気がするけれど、気のせいということにしておきたい。
 そしていつも通り授業を受けて帰宅―――――のはずだったのだが。

 「貴明、男として情けない事だがお前に頼みたい事がある。放課後、授業が終わったら待っててくれ」

 とか雄二が言うものだから、放課後俺は教室で1人待ち惚けるハメになった。
 元々同じクラスなのだから待つも何もないんじゃないのかと思っていたけれど、雄二は最後の授業が終わった瞬間「ちょっとだけ待っててくれ」
 と言い残して恐ろしい速度で教室から姿を消した。
 それから約20分、未だに雄二は戻ってこない。
 一体何処で何をしているのだろうか。

 「わ、わりぃ……遅くなった」

 等と考えていると、ようやく雄二が姿を現した。
 気のせいか息切れ以上に雄二の体が疲れている気がする。

 「ど、どうしたんだ?」
 「いや、ちょっとな……まぁ安全は確保したからもう大丈夫だ」
 「安全?」
 「こっちの話だ」

 一体なんのこっちゃ。

 「で、頼みたい事という事なんだが」
 「あぁ、そういえばそんな事いってたな」

 雄二が俺に頼みごと(変な目的以外で)というのが珍しいだけに、内容が非常に気になるところだ。

 「とりあえず今夜だけでいい。お前の……いや、珊瑚ちゃん達の家に泊めてくれ」
 「……へ?」

 思わず出た第一声がそれだった。
 一体何を言い出してやがりますかコイツは。

 「頼む、今日だけでいいんだ!」

 一瞬何をフザけた事を、と言いそうになったが、雄二の目には一切の冗談っ気がない。
 普段からおちゃらけている奴なだけに、こういった表情をするときはそれだけマジだという事を俺は知っている。

 「……判った、けど俺だけじゃ決められないからとりあえず家まで行こう」
 「た、助かるぜ貴明……」

 俺の返答を聞くと雄二は心底安心したように安堵の溜息を漏らす。
 理由は判らないけれどかなり切羽詰まっていたようだ。

 「その代わり、もし駄目って言われても知らんからな」
 「大丈夫だ、珊瑚ちゃんならそんな事いわねぇよ」
 「……まぁ、俺もそう思うけどな」

 実際学校紹介のビデオ撮ったりだとかダブルデート(あくまで名目上はだが)で遊園地に行ったりした仲だし問題ないか。
 ……コイツが無類のメイドロボ好きだということさえ除けば、だけど。





 「了承や〜☆」
 「はやっ、今一秒かからなくなかったか?」
 「貴明、そのネタは微妙に危ないからやめておけ」
 「??」
 「あ、いやこっちの話。それよりも助かったよ珊瑚ちゃん、ありがとね」
 「えぇんよ、困ったときはお互い様や〜」

 予想通りというか予想外というか、一応の仮家主である珊瑚ちゃんからはあっさりと了承がでた。
 これで晴れて(?)雄二は一晩だけここに泊まる権利を得たわけだ。

 「ところで貴明」
 「なんだよ」
 「いつぞやのメイドロボはどこにいるのか正直に白状しろ」
 「白状も何もいつもは帰ってきたら真っ先に玄関で出迎えてくれるから、それがなかったって事は今家に居ないんじゃないの?」
 「なんだとぉぉぉぉ?!」
 「あ、みっちゃんには今夕飯の買出しに行って貰ってるんよ〜。いっちゃんはなんか長瀬のおっちゃんに呼ばれて研究所や〜」

 いきなりメイド好きの本性をあらわにして詰め寄ってくる雄二に、珊瑚ちゃんがいつものマイペースで話しかける。
 その言葉の内容と珊瑚ちゃんの雰囲気に、雄二は一瞬で毒気を抜かれてしまっていた。

 「あぁ、そうなの……ガックリ」
 「研究所ってことはまたメンテナンスか何か?」
 「ん〜、そういうことやないみたいやねんけど、ウチはよぅわからん☆」

 それでいいのか、と思わず言ってしまいそうになるけれど珊瑚ちゃんはあくまで新型AI(と考える方が解り易い)の開発者であって、HMX−17
 シリーズの製作スタッフではない。
 所謂ゲスト扱いな為、メンテナンス等で出来ることというのはそうあるわけではないのだ。
 勿論生みの母であるから、何か困った事があれば相談には乗ったり会議もしたりはするらしいのだけれど。

 「それよりみっちゃんが帰ってくるまでゲームやろ〜☆いつものゾンビ撃つやつ〜」
 「さ、さんちゃん!またそんなのやるん?!」
 「だって〜、瑠璃ちゃん怖がって一緒にやってくれへんのやもん」
 「ちょーっとまった!なら今日は俺がゲーセンではちょいと噂の射撃術を見せてやるぜ!」
 「お〜、なんやえらい強そうやな〜。ほなら早速やろやろ〜☆」

 言うが早いか珊瑚ちゃんはソフトをセットすると、数分後には雄二と2人で盛り上がっていた。
 雄二のせいで、というかお陰で、というか手持ち無沙汰になった俺は、きょろきょろとリビングを見渡して瑠璃ちゃんが居ない事に気づく。
 おや?と思ってもう一度よく辺りを観察すると、キッチンの方で何やらごそごそと物音がするのが聞こえた。

 「瑠璃ちゃん?」
 「貴明……さんちゃんとゲームやってんやないの?」
 「や、雄二に出番とられちゃってさ。瑠璃ちゃんは何してるの?」
 「今日はお客さんも来たしたまにはフライパン持たんと腕がにぶるさかい、なんやおやつでも作ろうかと思って」
 「卵に牛乳、白い粉にボウル……ってことはホットケーキ?」
 「そうや、簡単に出来るしそれでいてほどよく小腹も埋まるから丁度えぇ」
 「なるほど。んじゃ、俺になんか手伝えること無い?」

 腕まくり……とはいってももう夏目前の今の時期は半そでだから袖をまくるフリだけしてやる気がある事をアピールする。
 瑠璃ちゃんは一瞬きょとん、とした後に「ほ、ほんならそっちの棚からお皿準備しとって」と何故かそっぽを向きながら指示してくれた。
 大人しくその指示に従ってお皿を取り出す。
 と言っても数枚を取り出すだけなのですぐに作業は終わってしまい、手持ち無沙汰にフライパンにミックスを流し込む瑠璃ちゃんを眺める。
 瑠璃ちゃんは俺がじーっと眺めているとも知らずに一所懸命にフライパンとにらめっこしている。
 以前瑠璃ちゃんは「料理は一瞬が勝負なんや」と言っていたのを思い出す。
 きっとホットケーキもひっくり返すタイミングで味がかなり変わってしまうんだろうな、瑠璃ちゃんとしては。
 そんな事を考えているうちに一枚が焼きあがったらしく、瑠璃ちゃんは火を止めてフライパンをテーブルの方へと持っていく。
 あらかじめ俺が準備しておいた皿の内一枚に、フライ返しでホットケーキを乗せ……

 「あぅっ!!」
 「る、瑠璃ちゃん?!」

 ようとしたところでビクッ、と体が震えたと思うと大きな音をたててフライパンが床に落ちた。
 慌てて瑠璃ちゃんの様子を見ると、右手の指を火傷したらしく、人差し指だけを半端に伸ばしてふるふると震えている。

 「だ、大丈夫?!」
 「大丈夫や……っつぅ!」

 口ではそう言っているけど、指先が赤くなってるし涙目だし強がっているのはバレバレだ。
 とりあえず指の炎症を抑えないと。



 はむっ



 「た、貴明?!」

 瑠璃ちゃんが驚いたような声を出す。
 あれ、なんか俺おかしな事したか?火傷だから冷やさなきゃと思って、指を……ってあぁ!?
 思い返して自分がどれだけ恥ずかしい事をやったかに気づく。
 そう、俺は火傷の心配をするあまり、瑠璃ちゃんの指先を口に咥えてしまったのだ。
 このみが無駄に張り切って料理をしてくれた時と同じような感覚になってしまったから半分無意識での行為だった。
 慌てて口を指から離す。
 けれど、瑠璃ちゃんの羞恥メーターは既に吹き飛んでしまっていたようで、既に目の前の女の子は真っ赤な顔で凍り付いている。

 ガタタッ!

 「?!」
 「っ!?」

 と、突然後ろの方から物音がした。
 驚いて振り向いてみると、そこには戸の隙間からこちらを楽しそうに……もとい、愉しそうに見ている四つの目。

 「あ〜、アカン。バレてもうた〜」
 「さ、珊瑚ちゃん?!」

 にぱ〜、というような擬音がしっくりきそうな笑みを向ける珊瑚ちゃん。
 その瞬間、背後から恐ろしい殺気が湧き上がる。
 不味い、この展開は……

 「た、貴明の……ごぉかんま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」

 どげしっ!!

 避けようにも間に合うはずも無く。
 立ち上がり様の鋭いローキックが綺麗に脇腹に突き刺さった。

 「やれやれ、相変わらず仲のいいこったな……ったく」

 怒りと羞恥で頬を染める瑠璃ちゃんと、そんな瑠璃ちゃんを愉しげににこにこと見ている珊瑚ちゃんの間で、雄二がぽつりと、そう呟いた。



《後書き》 約三年のご無沙汰でしたすいません(土下座) 予定よりかなり遅れましたが第3話、公開です。 ここから少しずつ物語が進んでいきます。 更新の遅さにめげずにこれからも読んでいただけると嬉しいですw 何故雄二が姫百合家に逃げ込んできたか、イルファさんは何故研究所に行ったのか。 それは次回以降で明らかに……なるといいなぁ(w ご意見、ご感想、ご指摘などはメールか掲示板、またはWEB拍手でお願いいたします。 2005/10/09 脱稿 2005/10/09 UP 2009/02/11 改版 拍手ボタンです。何か思うところありましたらポチっとどうぞ。 もどる