「なぁ、天野」


「何ですか?」


「今度の日曜……暇か?」


「空いてはいますけど」


 2人の間で恒例となった、昼休みの中庭での雑談。


 これが始まったのはいつだっただろうか。


「そっか……じゃあさ、4時に駅前のベンチで待っててくれないか?」


 そして、これはこれからも続いていくのだろうか。


 2人の関係が変わる事も無く、ただ、同じ『想い』を共有した仲間として。


「分かりました」


 今まではそれでも良かった。


「じゃあ、日曜にな」


 でも、これからは―――







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〜その、微笑み〜


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「悪い!遅れたか!?」

 息を切らせながら、俺はようやく待ち合わせの場所へ辿り着いた。

 そこには既に待ち合わせた相手である天野 美汐の姿があった。

 俺は慌てて自分の腕時計をチェックする。

 ……ふぅ、どうやら間に合ったみたいだな

「いえ、私が早く来ていただけですから」

 天野は少しだけ口元を緩めて俺にそう言った。

 天野は笑うと可愛い。

 少なくとも、俺はそう思う。

 初めて会った頃の天野は、笑顔という概念を持っていないようにも思えた。

 俺と同じく、『人にあらざるモノ』と関わって、天野は笑顔を忘れてしまっていた。

 でも、最近になって、天野はようやく笑顔を取り戻してきている。

 それが真琴と関わったからなのか、それとも違う理由からなのか、俺には知る由もないの

 だが……。

「では、何処に行きましょうか?」

「あ…その事なんだが……」

「はい?」

「今日は俺について来てくれないか?」

 そう、今日行くべき所は決まっている。

 後は、天野が来てくれるかどうかなんだが……

「構いませんけど……何処に行くつもりですか?」

 怪しい所とかじゃないですよね?、とでも言いたげな目でこちらを見る天野。

「大丈夫、天野も良く知ってる所だ」

 俺はある方向を指差した。

 その方向に何があるのか、天野は知っているはずだ。

「ものみの丘……」

 天野の口から思わずその場所が漏れる。

 俺にとっても、天野にとっても重要な意味のある場所。

 だからこそ、今日、俺は天野とそこに行きたかった。

「……駄目、か?」

「……いえ、大丈夫です」

 少し間があいたが、天野は確かにそう言った。

 とりあずえず、第1関門クリアだな。

 俺は心の中で安堵の息を吐く。

「じゃあ、行くか」

「……はい」





 ものみの丘。

 そこは、古くから妖狐が住む丘として知られている。

 歳を得た狐が妖力を持ち、そこから人々の暮らしを見つめ、時には奢れる人間を戒める

 為に人里へ降り、災いをもたらすという。

 だが、少なくとも俺と天野が出会ったソレは、他人に災いをもたらすような存在では無

 かった。

 ただ、もう一度逢いたかったから。

 それだけの理由で、彼女達は命と記憶を引き換えに人に姿を変えてやってきたのだ。

 ほんの少しの間だけの、安らぎを求めて―――。

「いい、眺めですね……」

 眼下に見える街並みを眺めながら、天野がふと呟いた。

「そうだな……」

 天野にならい、俺も街並みを眺める。

「……」

「……」

 しばらく無言の時間が続く。

 先にその沈黙を破ったのは天野の方だった。

「……今日は」

「どうして此処にきたのですか……?」

 街並みを眺め続けたまま、天野が呟くように尋ねてきた。

「どうして、か……」

 俺は目線を街並みから、赤く夕焼けた空に移す。

「此処じゃなきゃ……この、『ものみの丘』じゃなきゃ駄目だと思ったんだ」

「此処で無ければ……?」

 天野は良く分からない、といった具合に首をかしげる。

 そう、此処でなければならない。

 今までの過去に踏ん切りをつけて、新しい一歩を踏み出すには、この場所でなければ。

「……だって此処は、俺と天野が共通した『想い』を持っている場所だからな」

 ピク、と僅かに天野の体が震えた。

「……だからこそ、余計に此処じゃなきゃいけないと思ったんだ」

「……新しい一歩を踏み出すために」

 そこまで言って、俺は天野の方を振り向いた。

「俺は……俺は、天野の事が好きだ」

「えっ……」

 天野は、一瞬何を言われたのか分からないと云った表情で固まった。

 俺はそれに構わず言葉を続ける。

「今までは、俺たちはただ同じ『想い』を共有した仲間みたいなものだった」

「けど、いつの頃からか、それじゃ物足りないって思える自分が居るのに気付いたんだ」

 天野は何も反応する事無く、ただじっとしている。

 もう俺の話が聞こえているかどうかすらも疑わしいものだ。

「気付いたときはショックだったよ。俺は、真琴の事が好きだとばかり思っていたからな」

「それから、ずっと悩んだ」

「俺は何で天野を好きになってしまったのか、どうしてそれが天野だったのか、とかな」

「忘れようとも思った。諦めようとも思った。……でも、出来なかったんだ」

「此処で諦めたら、俺は一生過去に縛られたまま生きていかなきゃいけなくなる」

「だから……」

「だから、もう一度言う。……俺は、天野の事が好きだ」

 ピク

 今度は少しだけ体に反応があった。

「だから……出来れば、これからは俺と一緒に未来(まえ)に進んで欲しい」

 ……俺が言うべき事は全て言った。

 後は……天野の答えを待つだけ、だ……。



 どれくらいそうしていただろうか。

 ようやく天野が口を開いてくれた。

「相沢さん……」

「何だ?」

「こんな時は、どんな顔をすればいいんですか……?」

「え……っ?」

 正直、俺はその時の天野の言葉の意味が分からなかった。

 だが、次の瞬間、そんな疑問は消し飛んだ。

「私も、相沢さんの事が好きです……」

「天野……」

「でもっ……分からないんです」

「相沢さんと同じ気持ちだった、って判って、すごく嬉しいのに……」

「相沢さんにどんな顔をすればいいのか……どんな顔を向ければいいのか、判らないんで

 す……」

 それは、ずっと前に笑う事を忘れてしまった少女の心の嘆き。

 この丘で無くしてしまった、ココロの欠片。

 そして、今の少女に一番大切な、気持ち……

「……笑えよ、天野」

「え……?」

「嬉しい時は、人は笑うもんだ。何も悩む必要は無い」

 もう一度、思い出のこの場所からやりなおす為にも。

「だから、天野……いや、美汐、お前の笑顔を、俺に見せてくれないか?」

 昔の、お前がこの丘を駆け回っていた頃の微笑を。

「あ……」

 その瞬間、俺は確かに見た。

「はいっ」

 世界で一番愛しい少女の、涙まじりの微笑を―――

「祐一さん……大好きです」

「俺もだ、美汐……」

 そして、俺はこれからも忘れる事はないだろう。

 少女に笑顔が戻った、この日を。

 何よりも大切な、この刻を―――



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