時間が無い。
時間が無い。
時間が無い。
時間が無い。
時間が無い。
もうどれくらいそれを頭の中で連呼したのかすら忘れてしまった。
不味い。非常に不味い。
最近はずっとお互いの時間が噛み合わなくて、全くと言って良い程おしゃべりとかデートとかが出来なくて、久々の機会なのに。
昨日は凄く楽しみにしてて珍しく夜9時にはもう布団に入っていたのに。
朝だってきちんと6時で起きて、健康っぷりを証明する為にラジオ体操(しかも第2まで)もしっかりとやったのに。
よりにもよってこんな凡ミスをするとは例え神様でも予想しなかっただろう。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

走る。
ただひたすらに走る。
風を切って走る。
途中、人にぶつかろうとも気にせずに走る。
交差点の信号が赤でも気にせずに走る。
息が切れてこようが体中から汗が噴き出そうが構わず走る。
急げ。本気で時間が無い。
タイムリミットまで……後3分!!





「むぅ〜〜〜」
「はぁ……はぁ……ゴメン……ナサイ……」

結局。
俺が目的の場所に辿り着いた時には待ち合わせの時間はとっくに過ぎてしまっていたわけで。
イコール、時間通りに来るものと思っていた彼女は怒ってるわけで。
かなり機嫌を損ねてしまった訳で。
しかも遅れた理由が理由なだけに何も弁明出来ない自分が居るわけで。
説明しようとしたところで息切れが激しくてろくに舌の回らない自分が此処に存在してるわけで。
とどのつまり八方塞がりとはこんな事を言うんだろうなぁと。

「……ねぇ、拓海」
「……ハイ」

あの、もしかしなくても凄く怒ってらっしゃいます?
なんだか漫画とかだったら後ろに炎とかが描かれてそうな位怖い雰囲気ナンデスケド?

「約束……何時だっけ?」

うわぁ、やっぱりというか何と言うか、まずは逃げ場を無くそうっていう魂胆ですか?

「……午後1時でございます、ハイ」
「今の時間は?」
「……午後2時15分デ御座イマス」

うわっ、なんかこめかみの辺りがピクピクしてきてるんですケド。
これはひょっとしてアレですか?
もうそろそろ鉄拳というか鉄平手が飛んでくるパターンデスカ?

「……で、なぁんで遅刻したのかな?」

うわ、そこで怖いくらいの笑顔は反則ですよ!?
そんな顔されたら嫌でも体がすくんで逃げられないじゃないですか!?

「えっと……その……」
「ん〜、なぁに?」

ヤバイ。
これを言えば間違い無く俺の頬には数日は消え無い掌の痕が残るだろう。
だからと言って言わなければそれはそれで数日は消えない掌の痕が残るだろう。
進むも死、留まるも死。
………………。
………………。
………………。
ならば……俺は坂本竜馬の如く前のめりに死んでやるっ!!



「……電車に乗ってる途中でビデオ予約し忘れたのに気付いて戻ってたらこんな時間になりんがけっ!?」



まさに一閃。
容赦の無い右手での平手打ちが俺の頬に直撃する。
そのとてつもない衝撃で地面に倒れこみながら、俺は思った。
……まだ言い終わって無かったのに、と。




















「あ〜美味しかったぁ!!」

結局、アレから機嫌を直すのに数人の夏目漱石様を必要としてしまった。
……しかしいつも思うのだがどうして女の子というものは大量の甘味モノを事も無げに平らげるのだろうか?
しかも普通に太るのを心配してそれをいうとまた怒るし……

「はぁぁぁぁぁ……」
「ん、どしたの? これみよがしに溜息なんかついちゃって」
「いや、ただ財布が薄くなったなぁってさぁ……」
「自業自得でしょ? ビデオの予約なんかする為に戻る拓海が悪いんだから」
「だって怪我で長い間休んでた都賀原のアテネ五輪日本代表へ向けての復帰戦だぜ!?」
「あーはいはい、それはもう判ったから」

都賀原と言うのは今の日本体操を代表する選手の事だ。
約半年前の大会中に、左足首に筋断裂を起こして、しばらくの間治療を余儀なくされてしまい、長い間大会から遠ざかっていたのだ。
自他共に認める体操ファン(友人に言わせると既にマニアの域に達しているらしいが)がこれを見逃す筈がない。
イコール、俺にしてみれば充分な遅刻の理由なのだが、それが彼女にまで通じるかというとそんなワケは無い。
それが自分でも判っているからアレだけ覚悟していたのだが……。

「はぁぁぁぁぁ……」
「……もう、しょうがないなぁ」

俺のあまりの落ち込み具合を見かねたのか、瞳はやれやれと言った様子でこちらに歩み寄ってきた。
そしてベンチに座って俯いたままの俺に笑顔で語りかけてくる。
やはり甘いものの力は偉大なのだろうか?
いや、機嫌が直るまでの出費が出来た自分の財布が偉大なのだろう。
少なくとも俺はそう信じたい。

「ほら、元気だしなよ〜」
「だってよぉ……」
「元気が出るおまじないしてあげるからさ?」
「元気が出る……!?」

一瞬だった。
一体何の事かと顔を上げた瞬間、瞳の顔が近づいてきて、唇を奪われた。
余りに突然の出来事で、時間が止まったのかとすら思った程だ。
実際には時など止まる筈も無く、数秒もすると瞳は唇を自ら離した。

「んっ……どう? 元気でた?」

にかっ、と。
満面の笑みでそんな事を聞いてくる。
元気が出ないはずが無い。
けど、それを素直に言うのもなんだか悔しかった。

「……かい」(ぼそっ
「え?」
「もう一回してくれないと元気出ない」
「……もう、甘えんぼ」

苦笑しながらもう一度唇を重ねてくる瞳。
どう考えても、何処から見ても完全な甘えんぼで我侭キャラになっている俺だったけど、そこは気にしない事にした。
気にしたが最後、もう完全に瞳に勝てなくなっちゃうだろうし。
既に負けきってるとかいうのは気にしない事にする。
それに、なんだかんだ言って、瞳はまんざらでもないようだった。
というか、今回の原因は元々俺にあるからして満更でない方がおかしいんだけど。

「……今度は元気でた?」

えへへ、と少しだけ照れながら瞳は笑った。
やっぱり少しは恥ずかしかったらしい。
いや、恥ずかしくなかったらこっちも困るんだけど。

「あぁ、サンキュ」

こんな事であっさりと元気が出る自分も悲しいのだが、そこはそれ、それが恋愛ってもんなんだろうと思う。
……こんな単純で幸せな時間がいつまでも続けばいい。
俺は、心底そう思った。
























だが、そんな時間はいつまでも続かないという事を、俺は家に帰ってから実感した。
何故ならば……

「つ、都賀原ぁぁぁぁぁぁぁ!?」

慌てていたからであろう、俺はビデオの予約のチャンネルを間違えていた……。



戻る