ザァァァァァ……

窓で隔たれた部屋の中にも聞こえるほど強い雨が降り続いている。
窓ガラスは酷く濡れ、その表面に大量の水を流している。
昨日の昼から降り始めたこの雨は、降り止むことなく今現在に至る。
お陰で、一人の動きたい盛りの少年がベッドに釘付けだった。

「はぁ……暇だ……」

誰もいない部屋で一人、雄太はぼそっとつぶやいた。
もう何度目のつぶやきになるか判らない。
既に額に当てられた濡れタオルは熱を吸ったせいでぬるくなっていて、些か気持ちが悪い。
かといって、母親は先ほど昼食を片付けに来てしまっていた為、しばらくは来る気配は無い。
父親は当然の如く仕事である。

「動きてぇ……」

言いながら布団の中をわずかにごろごろと動く。
本当はせめて家の中を歩き回るぐらいはしたいのだが、トイレにいくだけでも辛い現状ではとてもその気にはなれなかった。
ずるっ、と濡れタオルが額からズレ落ちる。
だが、冷たくて気持ちのいいタオルならまだしも、今のぬるいタオルを額に直す気にはなれなかった。

「はぁ……だりぃ」

誰にともなく呟く雄太。
実際、病気で床に伏せていなければならない時で、眠れない時というのは非常に暇なのである。
漫画や小説を読むのも手段の一つではあるのだが、親からその手は禁止さいれていて、読んだのがばれたら雷が落ちてしまう。
ならばばれないように読んだら戻せばいいのだが、病気の時にそこまでの注意力と行動力を求めるのは無謀である。
ただでさえ普段から片付けを苦手とする雄太が、病気の時にそこまで出来たらそれはそれで恐ろしいのだが……。

コンコン

「ん?」

突然の物音に、雄太は窓に目をやった。
するとそこには、幼馴染であり、隣の家の住人でもある奈美がいた。
どうやらまた窓を伝ってきたらしい。
奈美は口をパクパクと動かして、窓の鍵の部分を指差している。
どうやら鍵が閉まっていて開けられないようだ。

「……こっちは病人だっつの」

ふらふらする頭をどうにか抑えつつ、ベッドから起き上がる。
そのまま壁に手をついて立ち上がり、窓のそばまで歩き寄った。
奈美はちょっと怒ったように『急げ!』というようなジェスチャーをしている。

いや、だから急げるだけの余裕がねーんだってばよ……

わずかにぼやける視界を強制的にどうにかして立て直し、窓の鍵を開ける。
すると、奈美は素早く雄太の脇を通って部屋に入り込んだ。

「あ〜、さむっ! っていうか雨降ってたんだからさっさと開けてよね?」

濡れた服や腕を見ながら奈美はそんな風に言ってきた。

「……お前な、俺病人だって判って言ってるか?」
「アンタなら平気でしょ?」
「……俺は怪物か何かか?」
「あれ? 違ったっけ?」
「……はぁ、寝る……」
「ちょ、ちょっと!?」

普段ならいざ知らず、今の雄太には高いテンションを維持するのは苦痛以外の何者でもなかった。
奈美の言葉を半分無視して布団に潜り込む。

「ちょっと、雄太?」
「……なんだよ」
「なんだはないでしょ? せっかく看病しにきてやったのに」

奈美は頬をぷくっと膨らませながら言う。

「……看病?」

何を、と言った感じで雄太が振り返る。
すると、奈美は少々ご機嫌斜めな表情をしながらも、枕の脇に落ちていた濡れタオルを拾って、洗面器に張られた水に漬け直した。

「そ。この雨じゃ外にも出かけられないし、おばさまも洗濯物とかで忙しいだろうと思ったからわざわざきてやったのよ」
「さよけ」
「む、なによその態度。せっかく看病してあげるんだからお礼の一つくらいは言って欲しいものね」

言いながら雄太の額に濡れタオルを当てる。
ひんやりとした心地いい感触が雄太の額を覆った。

「あ……サンキュ」
「ん、よろしい」

そこでようやく奈美は笑顔を見せた。
その笑顔に、雄太は思わずみとれてしまう。
奈美の笑顔……いや、様々な表情は昔から知っている筈だった。
だが、今この時の笑顔に、何故かとても惹かれた。

「? どうかした?」
「あ、いや……なんでもない」

赤くなったであろう顔を見られないように雄太は寝返りをうつ。
が、そのせいで濡れタオルがまたもずれてしまった。

「あ……もう、しょうがないなぁ、ほら、こっちむいて」
「え……?!」

肩口の辺りを布団ごと掴まれて半強制的に奈美の方を向かさせられる。

「…………」
「あれ? 顔紅いよ? 熱上がったのかな……?」

額に当てかけていたタオルを引っ込めて、奈美は自分の額を近づけてくる。
そして、小さくごつんと音をたてて、2人の額がぶつかった。

「……あれ? 冷たいね」
「……今までタオル当ててたんだから当たり前だろ」
「あ、そっか……」

至近距離の奈美の顔。
綺麗に見開かれた奈美の瞳。
ちょっと顔を伸ばせば、互いの唇すら触れそうで……



すっ......



雄太が一瞬そんな想像に駆られた瞬間、奈美は額同士を当てる為に引いていた顎を前に押し出した。
そして、無防備な雄太の唇に自分のそれをあてがう。

え……?

一瞬の出来事で、雄太には何が起こったのか判らなかった。
ただ、外に振る雨の音だけが遠く聞こえていた。

「……へへ、早く治るおまじない」

唇を離してから少しして、奈美はそう言った。
その言葉で、雄太の意識が現実に引き戻される。
瞬間、雄太はガバッ、という擬音がつきそうな勢いで起き上がった。
そして、先ほどの比では無いくらいに頬が紅く染まった。

「わ、顔真っ赤」
「だ、誰のせいだ誰の!!」
「あはは……私?」
「たりめーだ、ったく……」

自分の額に手をあてて下を向く。

「でも……」
「?」
「……ありがとな」
「……うん」

ようやく少しだけ落ち着いた雄太は、奈美に笑顔を返した。
少しだけ風邪が軽くなった気がする。雄太はそう思った。
ふと、雄太は外に目をやる。
外では未だ雨が降り続き、黒い雲が空を覆っていた。
この雨は当分やまないのだろう。
ずっとやまなければ困るけれど、今だけはもう少しこのままで……。
雄太は心の中でそう願った。



戻る