PIAキャロットへようこそ!3.3】
 0th Order【一本の電話】

「休憩入りま〜す♪」

 勢いよく事務室のドアを開ける。

 だが、事務室には人っ子一人いなかった。

「あれ……?」

 もう一度よく部屋の中を見回す。

 だが、やはり誰もいない。

「そっか、そういえば涼子さん今レジに入ってたっけ?」

 その他の従業員も、まだフロアや厨房で仕事をしているらしい。

「う〜ん……誰もいないって事はぁ……」

 怪しげな笑みを浮かべるともみ。

「〜〜っ、えいっ♪」

 ともみは軽くジャンプしたかと思うと、すぐさまソファーに倒れこんだ。

 他に誰もいないからこそ出来る芸当である。

「ふにゃ〜、しばらくこうしてよぅ〜……」

 ソファーの柔らかい感触に浸りながらゴロゴロと寝そべるともみ。

 だが、その至福の時間は脆くも崩れ去った。



プルルルルッ、プルルルルッ、プルルルルッ!!



 突然、事務所の電話が鳴ったからだ。

「わっ!?」

 思わず声をあげるともみ。

「び、ビックリしたぁ……電話かぁ」

 ともみは少しの間様子を伺った。

 一応フロアの方にも電話があるので、涼子か祐介かが出るだろうと考えていたからだ。

 ……だが、一向にコールがやむ気配はない。

 ともみは仕方無しに電話を取ることにした。

《うぅ〜、電話対応って苦手なのにぃ〜っ》

 恐る恐る受話器を取る。

「は、はい。こちらPIAキャロット中杉通り店で御座います」

『もしもし、本店の神無月と申しますが、木ノ下店長はいらっしゃいますか?』

《あれ?この声……?それに神無月って、もしかして……?》

「ひょっとして……お兄さん?」

『あれ?その声……もしかして、ともみちゃん?』

「やっぱりお兄さんだぁっ♪」

 突然の電話の相手は、ともみがお兄さんと慕う、神無月 明彦からだった。

 お兄さんといっても、実際に明彦がともみの兄であったり、従兄であったりする訳ではない。

 昨年の夏、4号店のヘルプとして現地へ赴いた時の電車の中で、ともみは初めて明彦と出会った。

 その時に、「お兄さん」と呼んで以来、ともみは明彦の事をずっとお兄さんと呼んでいる。

 それは、夏のヘルプ期間が終わって2人が恋人同士になってからも変わる事は無かった。

「お兄さんが2号店に電話なんて、珍しいね?」

 電話の相手が明彦と分かった事で、ともみの緊張は大分和らいだ。

『うん、ちょっと用事があってね。……で、店長さん、いるかい?』

「え?えっと、今フロアーの方に出てるみたいなんだけど……あっ」

 丁度その時、店長――木ノ下 祐介が事務所に戻ってきた。

「お兄さん、ちょっと待っててね」

 ともみはそう言うと、受話器に手を当てて祐介の方を振り向いた。

「店長!本店のお兄さ……じゃなかった、神無月さんからお電話です」

「本店の、神無月……?分かった、ありがとう」

 祐介は少し考えるそぶりを見せたが、すぐにいつもの静かな笑顔を見せてともみから受話器を受け取った。

「お電話変わりました。店長の木ノ下です」

『本店の神無月 明彦です』

「明彦……。あぁ!志保さんの弟だったかな?」

『はい、お久し振りです』

「いや、こちらこそ。お姉さんは元気かな?」

『え、ええ。相変わらずコワイですけど』

 神無月 志保――明彦の実の姉である。

 そして、祐介がまだ本店でバイトをしていた頃、祐介と共に本店で働いていた女性でもある。

 祐介と明彦はその頃に何度か会った事がある。

 最も、あまり話した事は無かったのだが。

「はは。よろしく伝えておいてくれるかな?」

『分かりました』

「で、今日は一体どんな用件かな?明彦君」

『あ、ゆうす……じゃなかった、木ノ下店長、以前にオーナーにヘルプ要請出されましたよね?』

「祐介、で構わないよ」

 祐介は苦笑しながらそう言った。

『あ、そ、そうですか?』

「あぁ。……で、ヘルプ要請の件だったね?」

『はい』

「確かに数日前に出したけど……もしかして、明彦君が来てくれるのかい?」

『はい、オーナーからそう言われました……

【君は夏にも4号店へ行っていて信用があるからな】

 と言われたものですから』

「そうか。オーナーがそう言うなら安心だね、明彦君?」

『はは……まぁ、とにかくよろしくお願いします』

「あぁ、こちらこそよろしくお願いします」

『では、これで……』

「あぁ、ちょっと待ってくれないか?」

 電話を切ろうとした明彦を、祐介は止めた。

『何ですか?』

「君は、寮に入るのかい?もしそうだったら。部屋を用意するけど……」

『あ、そうですね……じゃあ、お願いできますか?』

「もちろんだよ。で、何時ぐらいから来れそうなんだい?」

『多分、正式にヘルプとして入るのは来週の初めになると思います』

「分かった。期待しているよ」

『はは……精一杯頑張ります』

「じゃあ、今度はこっちのお店で」

『はい、失礼します』

 ガチャ

 明彦が電話を切るのを確認して、祐介も受話器を置いた。

「あ、あの……店長?」

 祐介が後ろを振り向くと、ともみが目を輝かせながら立っていた。

 どうやら先程の電話を聞いて大体を理解したらしい。

「い、今の電話って……」

 恥かしそうに聞いてくるともみに、思わず祐介は苦笑した。

「あぁ、本店から来るヘルプが神無月君に決まったんだよ」

 その言葉を聞いて、ともみは一層目を輝かせた。

「いつから来るんですかっ!?」

 祐介の方にずいっと見を乗り出してくる。

「あ、あぁ……確か、来週の頭だと言っていたね」

「来週の初め……」

「寮に入ると言っていたから、多分日曜には来るんじゃないかな?」

「日曜ですねっ!?」

 更に祐介に詰め寄ろうとするともみ。

 祐介は思わず後ずさりしてしまった。

「あ、あぁ……多分だけどね」

「わぁい♪ またお兄さんと一緒に働けるんだぁっ♪」

 ともみは素早く反転するとその場でクルクルと回り始めた。

 祐介は、そんなともみを見て、人知れず溜め息を吐いたのだった。

 とかく、明彦の二度目のヘルプ生活は、こうして幕を開ける事となるのであった。



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