本当の、キモチ





 何だか随分と久し振りにこの廊下を通るような気がする。

 ほんの数週間なのに、何故か何年も此処に来ていないような気さえする。

 何だか、凄く懐かしい……。

 事務室へと続く廊下。 突き当たりには、事務室へと続くドアがある。

 お兄さん、今事務室にいるかな……?

 あれ……? 話し声……?

 何だか妙に胸騒ぎがしてドアの陰で聞こえる声に耳を澄ます。

「……絶対に、……したから……」

「前田さん……ですか!?……下さい!!」

 なんだか聞き覚えのある声。

 この声、ひょっとして……!?

 恐る恐る、事務室を覗いてみる。

 あ……!!

 声が聞こえた時から、予想はしていた。

 でも、出来れば当たって欲しくはなかった。



 ドサッ!!



 事務室に居た2人の男性。

 前田耕治に、もう一人―――神無月明彦。

「え?? な、何……??」

「何でキミがここに……」

 2人とも、ともみが此処にいるのをみて凄いビックリしてる。

 でも、ともみだって……

「お、お兄さん、ここにいるのはなんで……??」

「なんで、ここで怒鳴っているの??」

 どうして"お兄さん"が"お兄さん"と一緒にいるの……?

「俺は、ともみちゃんのことを想って……」

「バカ、バカバカ!! ぐすっ、勝手なことしないでよっ!!」

 これは、ともみの問題なのに……

「ともみちゃん……」

「ぐすっ……ヒドイ、ヒドイよ」

 なぜかは判らないけど、ともみの目からは涙が溢れていた。

「くすん……お兄さんには……関係無いじゃない」

「なのに、お節介焼かないでよ」

 止まらない。

 心の奥底から湧き出てくる感情が抑えられない。

「ともみちゃん、聞いてくれ。 俺は……」

 お兄さんが何かを言おうとしてる。 でも……

「い、いや……聞きたくなんかない。 ともみのことは放っておいてよ!!」

 今は何も聞きたくないよっ!!

 思わずその場から逃げるように走った。

 凄く、胸が苦しい。

 考えなきゃいけない事はたくさんあるはずなのに……。

 でも、でも……、今は何も考えられないよっ……!!

 何処をどう走ったのだろうか。

 それは判らないけれど、ともみは気がつくと駅の目の前に居た。

「ともみちゃん、待ってくれ!!」


 ビクッ!!


 本当は止まるつもりなんてなかった。

 このままその声を無視して駅の中に入ればよかったのに……。

 ともみの足は自然に止まってしまった。

「ぐすっ、なんでなの……」

「なんで、お兄さんが2号店に……」

 思わず口からそんな言葉が飛び出していた。

「ゴメン……俺、ユキちゃんから前田さんの話を聞いて……」

「それで、居ても立ってもいられなくなって……」

「ともみちゃんの悲しい顔を見たくなかったから……」

「だから……」

「お兄さんには……ぐす、関係ないじゃない」

「ともみの問題なのに……」

「何で、お兄さんにあんな事言うの……?」

「ともみには、わからないよ……」

 まだ涙は止まらない。

 それに、なんだか胸がモヤモヤして、お兄さんの顔をまともに見ることが出来ない。

 でも、これだけは聞きたかった。

「それは……」

「自分でも何で前田さんにあんな事を尋ねたのか判らない」

「でも、自分が何かしなくちゃ、ともみちゃんから笑顔が消えると思ったんだ」

「ともみちゃんにはいつも笑顔でいてもらいたい」

「俺、ともみちゃんが好きだ。 だから放っておくことができないんだよ」

「えっ……?」

 考えてもいなかったその答えに、ともみは思わず顔を上げた。

 好き……?

 お兄さんが、ともみを……?

「ともみちゃん、キミが好きだよ」

 さっきの言葉が聞き違いでない事を証明するかのように、もう一度お兄さんはともみにそう言った。

「そんな……」

「ともみちゃん……」

 また、お兄さんが何かを言おうとしてる。

 けど……

「そんな恥ずかしいこと言う人は大嫌いだよ!!」

 ともみはそう叫ぶとまた何処へとも無く走り出した。

 お兄さんが嫌いなわけじゃない、けど……

 けど、今はなんだか頭がこんがらがっちゃってそういう事が考えられないよ……っ!

「ま、待って! ともみちゃん!!」

 また、お兄さんがともみを呼び止める声がする。

 けど、今度は止まらなかった。





 何処をどう走ったのだろう。 気が付けば、時間はかなり遅くなっていた。

 ……寮に、帰ろう……

 駅前まで戻って、電車に乗り込む。

 美崎海岸駅に着く頃には、もうお兄さんと約束していた花火大会は終わろうとしていた。

 駅から続く海岸線の道路の向こう側に見えた、大きな打ち上げ花火。

 本当なら、お兄さんと一緒に見るはずだったのに……

「……お兄さん……」

 なんか、一杯酷い事言っちゃったな……

 後で、謝らなくちゃ……花火も見れなかったし……

 でも、いまのともみに、そんな資格は、あるのかな……

 フラフラとおぼつかない足取りで歩く。

 やがて、何時の間にか空を覆っていた黒い雲から、雨が落ち始めた。

「あ、雨……」

 でも、ともみは走ろうとは思わなかった。

 きっと、バチがあたったんだ。 お兄さんにあんな酷い事一杯言っちゃったから、バチがあたったんだ。

 そう思い込んでいた彼女は、あえて雨にその身を晒した。

 そして、降りしきる雨の中、ゆっくりと社員寮へと歩いていった。

 寮に、まだお兄さんは帰ってきていなかった。

 ともみは少し迷ったけど、待とうと決めた。

『神無月』と書かれたプレートの挟まったドアの前に座り込む。

 外はまだ酷い雨だった。

 ………………。

 ………………。

 ………………。

 それからどれくらいの時間が流れただろうか。

「ともみちゃん……」

 突然聞こえたその声に、ともみは顔を上げた。

 そこには、恐らくずっと待っていたんだっていうのがすぐに判るくらいずぶ濡れなお兄さんの姿があった。

「えっ、お、お兄さん……」

 突然声を掛けられて、ともみはちょっとビックリした。

「花火大会、ずっと待ってたんだよ」

「う、うん……」

 どうしてだろう、なんだか……凄く気まずい。

「昼間は、ホントにゴメン……」

 ともみが何も喋らないのをみて、お兄さんの方から話し掛けてきた。

「俺、ともみちゃんの気持ち何も考えずに……」

「バカだな……ホント」

 お兄さんがどこか自虐的な風に言う。

 違う。

 違うよ、お兄さん……。

「あ……あの、あのね……」

 本当に悪いのは、ともみなの。

 だから……ともみはお兄さんに本当のことを言わなくちゃ……

「わかってたの……何もかも」

「お兄さんには心に決めた人が居て……」

「ともみなんかが入り込める余地は無かったんだって……」

「でもね、それを認めたくなかったの」

「まだ、ともみの方に振り向いてくれるかもしれないって……」

「そう思って……」

「皆に内緒でこっちのお店にやって来たの」

「お兄さんが、ともみのことを追いかけてきてくれる」

「そして、髪の毛を切ったともみを見て変わったね、どうしたんだいって……」

「そう、優しく語りかけてくれる事を……」

「そんなバカな事を夢みてた……」

「ともみちゃん……」

「えへへ、子供みたいだね……」

 本当に、ともみはまだ子供だよね……

「ユキちゃんにそう言われるのも無理ないよね」

「そんな事はない! そんなことは……」

「お兄さん……」



 とくん



 なんだか、心が温かい……

「俺だって似たようななものだし……」

「好きな人がいたら振り向いて貰いたい」

「相手の気持ちがわからないから……」

「少しでも自分の気持ちを伝えるように努力をして……」

「目に見えないものを見えるように必死に足掻くんだ」

 どうしてだろう……お兄さんの言葉を聞いてると、凄く胸が暖かくなってくるよ……

 これって……

「だから、もう一度言うよ」

「俺、ともみちゃんのことが好きだから……」

「お兄さん……」



 とくん



 あ、また……

 この気持ちって、やっぱり……

 そう……なんだね

 ともみは、お兄さんの事が…… だから、あんなに混乱しちゃったんだ……

 それなのに……

「……今日は、約束の場所行けなくてゴメンなさい」

「待ち続けるのがどんなに辛いかわかっているのに……」

 そう、それがどんなに辛いかはともみが1番よく分かっていたはずなのに。

「ぐすっ、ともみが約束を破っちゃった……」

「くすん、お兄さんに申し訳なくて……」

「いや、いいんだよ、もう……」

 また泣き出し始めそうだったともみを、お兄さんは優しく慰めてくれた。

「こうしてともみちゃんに謝ることができたんだから……」

「う、うぅっ、ぐすっ……」

 でも、やっぱりともみがしたのは許される事なんかじゃ……

「ともみちゃん……」

 お兄さんは、泣くのを必死に堪えようとしていたともみを、優しくなでてくれた。

 その大きくて暖かい手が、凄く嬉しかった。



「今日はもう遅いから、おやすみなさい」

 しばらくしてともみが立ち上がると、お兄さんは微笑みながらそういった。

「うん……おやすみなさい」

「それじゃまた明日……お店でね」

 お兄さんはそう言うと、振り返ってドアを開けようとした。

 あ……駄目っ

「あ、あの……お兄さん……!!」

「え……?」

 言いたい事は一杯あった。

 けど、ともみの口から出た言葉は……

「ともみのこと……嫌いにならないでね」

 本当なら、もっと上手な言い方が沢山あった。

 けど、このときは何でかわからないけど、こんな言葉しか出てこなかった。

「うん、わかっているよ」

 でも、お兄さんはともみの言いたい事をちゃんとわかってくれた。

「えへ、えへへへ」

 それが、凄く嬉しかった。





 ありがとう、お兄さん……





 ともみね、お兄さんの事が、世界で一番……大好き……だよ



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