終業式の日、町で小さな花火大会がありました。出店も大して出ていない、小さな小さな花火大会。地元の小学生や中学生が「夏休み」を感じるために存在するような、そんな通過儀礼のようなものだと私は考えていました。
「ねえ、一緒に行かない?」
 あなたにそう言われなければ、の話ですが。





" だけど閃光のように "





 終業式を終えた、その日の夕方のことです。
 校門を出てしばらく歩き、土手が見えてきました。普段は閑散としている場所ですが、今日に限っては人の姿もちらほらあるようです。それも多くはうちの学生たちで、仲良しグループ同士で来ている人たちもいれば、男女同士で来ている人たちもいるようでした。
「……? 笹瀬川さん、どうかした?」
 前を歩いていた直枝さんが振り返り、わたくしにそう声をかけます。
「な、なんでもありませんわ……」
 わたくしがそう言いますと「そう」と小さく笑い、彼は再び背を向けました。彼はいつも自分より大きな人たちに囲まれているからか、あまり大きいイメージがありません。それでもやっぱりその背中は、わたくしたちとは違う、肩幅の広い背中でした。なんとなく男の子だな……なんて思ったりしてしまいます。
「あ、見て」
「は、はい?」
 ぼーっと眺めていた背中が歩みを止めます。彼が指差す方には何人かの見慣れた顔の女の子たちが、浴衣姿で川原をきゃっきゃと歩いていました。
「うちの学生……ですわね」
 名前までは覚えていませんが、多分同学年だったと思います。そうでなければ、見覚えがあるとは言い切れないと思いますから。
 色とりどりの浴衣がぴょんぴょんと、あるいはくるくると、普段は閑散としている川原をおぼつかない足取りで通り抜けていきます。人によっては明日には帰省するというのに、わざわざ実家から送ってきてもらったのでしょうか。着慣れていないのが、一目でわかりました。
 一方のわたくしたちは、二人とも制服姿。しかし川原にいる学生たちの多くは学生服であり、わたくしたちが特別浮いているわけではありません。それでもああいう華やかの姿をしている女の子たちを見てしまうと、「もう少し着飾ればよかった」と、女心に思うのです。
「うん、そうだね」
 それを聞いた直枝さんはわたくしが汲んでくれたことが嬉しいのか、にこりと笑いました。直枝さんは棗さんのお兄さんや宮沢さんのように「格好良い」というより、どちらかといえば女顔で「可愛い」顔をしています。それでもどきり、と胸が高鳴るのはやはり恋をしているからでしょうか。それとももし、直枝さんが女の子だとしても、同じように胸の高鳴りを感じるのでしょうか。よくわかりませんでした。
 そんなことを思っていますと、彼はこう言います。
「笹瀬川さんの浴衣姿、見たかったな」
 本当に、純粋な笑顔で。
「なッ……!?」
 かあっ、と顔が熱を帯びていくのがはっきりとわかりました。そんな顔を見られたくなくて、つい視線を逸らします。嬉しいのか、恥ずかしいのか、自分ではよくわかりません。それでも自分の顔が赤らんでいるのは明白で、直枝さんと目を合わせることができません。
 なんてことを、なんて笑顔で言うのでしょう、この人は――嬉しい反面、そう言われてしまうと「悔しい」とも感じます。もし、私が浴衣を着ていたら、彼はどんな言葉をわたくしにくれるのでしょう。想像するだけで胸の奥がじんわりと温かくなっていくのを感じました。
「……き、機会があればお見せしますの」
 本当は今すぐ実家に電話して、この場に持ってきてもらいたい。いやそんな回りくどいことより、町のお店まで走っていって買ってきたい。そう思っているのに……天邪鬼なわたくしは素直に言葉が出ず、ひねくれた物言いをしてしまいます。
 それでも彼は笑顔を絶やさず、「楽しみにしてるよ」と言いました。
「…………」
 また歩き出す彼の背を眺めつつ、そんなわたくしで、そんな彼だからこそ……わたくしたちは惹かれあったのかな、とぼんやりと考えていました。







 青と赤が混じり合った空はやがて黒く塗り潰され始め、それを待つ人で川原は賑わい始めていました。出店はやはり一つ二つと点在しているだけですが、それでもわたくしが思っている以上に、このイベントを楽しみにしている人はいたようです。
「そろそろだね」
 わたくしの隣で腰を下ろす直枝さんが腕時計の文字盤を見つつ、そう呟きます。時刻はまもなく七時、周りも今か、今かという空気が漂い始めていました。
 そう思った、まさにその瞬間――まだほんのりと赤の残る夜空を二分するように白煙が甲高い音を立て、高く高く舞い上がっていきました。そして咲く光の花……赤、青、緑、輝く花弁が枝垂れるように夜空に散っていきます。
「わあ……」
 自然と感嘆の声が漏れてしまいました。懐かしい雰囲気……弾ける音が肌に触れて、ちょっと痺れるみたいで心地良い。直枝さんもそれは同じようで、ちらりと横顔を見ると、薄く笑顔を浮かべて夜空に見入っているようでした。
 次々と咲き、そして散っていく大輪の花……しかしいくつかそれを繰り返すたびに、その美しさに目を奪われることよりも、何故か心の奥でちくりと痛むことに気が向いていることに気付きました。おそらく傷や病的な意味ではないでしょう。所在なさげに痛むこれは、きっと何か思うところがあること。この咲いては散り、咲いては散りを繰り返す光の花に、何か訴えかけられている証拠。
 何を思っているのでしょうか、わたくしは。今はわたくしにとって、これ以上にない幸せの形のはず……それなのに何故、それだけを想っていられないのか。何故、感じていられないのか。わたくしは自分が恨めしく思いました。
「……どうかしたの?」
 何故なら、彼は――そんなわたくしに、優しい言葉をかけてくれる人だから。きっと、多分、いや絶対、彼は必ず気付いてくれる。こんな感情も素直に表に出せない、わたくしの心の動きを……わたくしにすらわからないことを、必ず気付いてくれるのです。

 わたくしはこの言葉にできない言葉を、たどたどしく口にしました。夜空に輝く花火を見上げながら、ゆっくりと。
 直枝さんはそんなわたくしの一貫性のない言葉に、しっかりと頷いてくれました。夜空に輝く花火を見上げながら、噛み締めるように。
 やがてわたくしの言葉はうやむやになり始め、ついには続ける言葉を失ってしまいました。そもそも始まりがわからない話だったので、続きを話そうにも手繰り寄せる糸すらなく、ただ散ってゆく花火を眺めるしかありません。同じように見上げる直枝さんは、何を思っているのでしょうか。何を感じてくれたのでしょうか。それだけを思い続け、胸の痛みが増すのです。

「……きっとさ」
 それからどのくらいの時が経ったでしょうか。どれだけの花火が咲き、散っていったでしょうか……思い出せません。何分間もそうしていたのかもしれないし、もしかしたら間髪問わずだったかもしれません。しかしわたくしにとって、それは何時間にも感じられた時間の迷路でした。そうして、直枝さんが口を開いたのです。
「切なくて儚いからじゃないかな、花火は」
 そう言いました。
「切ない……?」
 花火は――切なく儚い。わたくしはそうした感情を、一度も覚えたことがありませんでした。花火は綺麗で、ただ見ているだけでどきどきして……金色や銀色に輝き続ける宝石よりも、ピンクや赤に彩られたドレスよりも、わたくしはずっと花火が好きでした。それでもやっぱり、わたくしはそうした感情を覚えた記憶がありませんでした。
「花火って人生……ううん、この世の中の縮図みたいなものだと思うんだ」
「咲いて……散って?」
「うん」
 また空を見上げます。
 そこにはまだ、無数の花火が夜空を輝かせていました。咲いて、散って、また咲いて、また散って。それを繰り返して、味気のない夜空を光り輝かせます。
 そして……ようやくわたくしは直枝さんの言葉の意図に、そしてこの痛みの正体に気付きました。
「この世界からすると、僕らの命なんて花火と一緒なんだよ。たかが80年なんて」
 この地球が誕生してから、約46億年。もし地球の一生を暦に直したら、人類が生まれたのは12月。授業で聞いたのかもしれませんし、誰かから聞いたのかもしれません。しかしわたくしは直枝さんの言葉を聞きながら、ぼんやりとそのことを思い出していました。
「そう考えると、自己投影しちゃうよね。やっぱり」
 はは、と直枝さんは苦笑いしました。それは意図せずに自己投影してしまったわたくしに向けられた言葉ではなく、どこか自嘲気味に――まるで自分を辱めたような、そんな笑い方でした。
「……直枝さんも?」
 恐る恐る訊ねてみました。そうでもない限り、そのようには笑わないと思ったからです。すると直枝さんはもう一度苦笑いし「そうなんだよ」と、今度は懐かしむように笑ったのです。
「子供の頃、花火を見てね……なんで花火は消えちゃうのかが、ずっと疑問だったんだ」
 何も知らなかった無垢な頃。誰にでもあります。科学的根拠なんて通じない、ただゴールの見えない疑問の数々。わたくしたちはそれを成長を繰り返すたびに気付き、また人に気付かされ、こうして営みを繰り返してきました。それはわたくしも――そして直枝さんも、誰もが一緒。
 直枝さんは言いました。ある時花火を見て、何故消えてしまうのかをご両親に訊いたことを。それを聞いたご両親は「消えてしまうから綺麗なんだよ」とお話になったそうです。今では当然わかるそうですが、あの頃はやはり理解できなかったそうです。
 直枝さんは言いました。ある時生き物の死を見て、何故死んでしまうのかをご両親に訊いたことを。それを聞いたご両親は「だから皆、一生懸命に生きるんだよ」とお話になったそうです。今では当然わかるそうですが、あの頃はわからないと泣き喚いたそうです。
「だから、後悔しないように生きるんじゃないかな」
 そう締めくくりました。
 直枝さんがご両親を亡くされていることは、わたくしも知っていました。それでも尚、紡ぐこの言葉……ずしり、と私の胸が重くなります。しかし不思議と先ほどまでの痛みはありませんでした。
 この人生が残り50年であろうと、5分であろうと……後悔しない。それが一瞬の閃光のようだとしても、眩しく燃えて生き抜いていく。それで夜空に咲く花火のように生きることができれば、どれだけ素晴らしいことでしょう。だって花火は、こんなにも多くの人を魅了しているではありませんか。その生き方のどこに、後悔があるでしょうか。

 わたくしは心の中でこれから咲きゆく、そして散っていった花火たちに謝りました。ごめんなさい、あなたたちの生き方を勘違いしていました……と。
 そしてあなたたちのように生きさせて下さい、そうお願いしました。







 夜空にはまだ、いくつもの花火が輝いていました。咲いては散り、咲いては散りを繰り返す、人の一生を早送りにしたかのような光の花。あのように輝くために、わたくしはどうすればいいのか悩みます。まだ散るわけにはいきません、少なくても半世紀ぐらいは生きたいものです。ですからその頃、散る頃までに輝くためには、どうすればいいのか――わたくしは考えました。
 そして、たった一つだけ思いつきました。
「い、今のわたくしはこれが精一杯……ですわ」
 直枝さんの耳には、聞こえたでしょうか。もしかしたら、輝く花火たちの声々にかき消されてしまったかもしれません。しかしそれでも関係ありません。
 わたくしはゆっくりと、そして恐る恐る、自分の手のひらを横に座る、直枝さんの手のひらに重ねました。それはもっと進んでいる関係の人たちから考えれば、小さくて些細な進展かもしれません。
 でもわたくしは思うのです。例えこのような歩みでも、きっと夜空に輝ける。それが50年後なのか5分後なのかは、誰にもわかりません。それでももし、今この瞬間に散ってしまったとしても……今この瞬間は輝いている。わたくしはそう信じたいのです。
 ゆっくりと直枝さんの方を見ました。すると彼は夜空を見上げておらず、こちらを見て、こう言うのです。

「輝いてるよ、十分」
 そうやってやっぱり、優しく微笑むのです……夜空に咲く、花火のように。





 了
 









 あとがき

 なんだかんだで脳内妄想→プロット書き→友達と海でひゃっほい!→カキカキを一日でこなしました。幹事男です。
 完全に実体験×ダ○の大冒険です。一応シリアスのつもりですが、ある意味○イをパロった時点で知っている人にはギャグにしか思えなかったかもしれません。
 諦めかけていたたみフル参加(もとい、リトバス系お祭り精勤賞)ですが、きあいとこんじょー(とノリ)でなんとかなりました。主に()内のもので。
 次回は締め切りを守りたいと思います。

 ……さーて、お次は明日までに提出のレポートだー♪

 09.7/20 幹事男



 拍手しちゃう!     俺は掲示板派だ!     いやこっそりメールでしょ





お祭り会場に戻る