最近、佐々美さんの機嫌が非常によろしくない。
 というより、もうあからさまに不機嫌だ。
 いつもの余裕さえ感じさせる笑顔は陰を潜め、常にむすっとした表情を貫いている。
 あまりの事態に佐々美さんを慕っていた下級生の3人組は揃って泣き出してしまったし、リトルバスターズのみんなからも、僕が何かしでかしたに違 いないとか言いがかりをつけられてしまった。
 でも僕には全く思い当たることがないのだ。



 ご機嫌斜めの女王猫



 佐々美さんの機嫌が悪くなったのは今週に入ってから。
 単純に考えるとその前――先週末に何かあったと考えるのが妥当だと思う。
 でも先週末、佐々美さんは部活で忙しくて僕とは顔を合わせていない。
 夜にちょっと電話をしたぐらいだ。
 僕の記憶では、電話口から聞こえていた声におかしな感じはしなかった。
 ライズボールがうまくノビないとか言われたけども、アレは試行錯誤しているだけのようで別段機嫌が悪くなる要因ではないと思う。

「やっぱり、何も思い当たることはない?」

 その日の放課後、僕は佐々美さんの後輩のうちの一人、中村さんに週末の様子を改めて聞いてみた。

「はい。直枝先輩が仰っていたように変化球についてちょっと悩んでいたようですけど、ほかにはこれと言って……」

 中村さんはしゅん、とうなだれてしまう。
 気のせいか、佐々美さんの様子がおかしくなってから中村さんたちの元気もなくなってしまったように見える。

「そっか……うん、ありがとう。ごめんね、急に時間とってもらっちゃって」
「いえ、そんな……直枝先輩ならいつでも……
「え?」

 今何か聞こえたような……

「い、いえ、なんでもないですっ!佐々美様のこと、よ、宜しくお願いしますっ」

 中村さんはひどく慌てた様子でぺこりと一礼すると、素早く体を返して走り去ってしまった。
 いったい何だったんだろうか。

「ちょっと気になるけど……とりあえず次に行こう」

 なんとなく釈然としない気分を抱えて、僕は次の心当たりに向かった。





「う〜ん、私もちょっと解らないなぁ」

 佐々美さんのルームメイトである小毬さんも、特に思い当たることはないようだ。

「先週末の夜はいつも通りのさーちゃんだったよ? ……あ、そういえば月曜日の朝起きたときはもう機嫌が悪かったような……」
「えぇ?」

 と言うことは夜中に何かがあったということか。

「夜中には何もなかったの?」
「う〜ん、私はふつうに寝てたから……」

 まぁ、それはそうだよね。
 とはいえ、一つ重大なヒントを得られた気がする。
 ……あと、やっぱり僕のせいじゃないみたいだ。
 もしかしたら知らず知らずの内に何かしちゃったのかと思ってちょっと焦ってたりもしたんだけど。

「ありがとう、小毬さん」
「いえいえ、おっけーなのですよ」

 さて、じゃあ後は夜中の情報を集めれば……。





「って集まるわけないよ……」

 あれから数人に聞き回ったけれども、成果はゼロ。
 それもそのはずだ。
 同室の小毬さんが知らないことをほかの誰が知っているというのだろうか。

「もうこうなったら……」

 恐いけど、直接聞いてみるしかない。



「……なんですの?」

 放課後、裏庭に呼び出した佐々美さんはやっぱり不機嫌そうだった。

「いや、あの、なんだか最近佐々美さんの機嫌が悪いみたいなんだけど」
「そんなことはありませんわ」

 ぷい、とそっぽを向かれてしまう。
 いや、それで機嫌がいいと思える方がおかしいと思うんだけど。

「えっと、僕、何かしたかな?」
「何もしてませんわ」
「その、本当に?」
「しつこいですわよ」
「何もしてないことが悪かった、とかもないよね?」
「だから何もないと言っているでしょう!」

 怒られた。
 でも、やっぱり今日の佐々美さんはおかしい。
 ……あれ、まてよ?
 女性が不機嫌になる理由って何かあったような……

「あの、佐々美さん」
「今度はなんですの?」
「まさかとは思うけど、その、せいr」
「今すぐ貴方のそのふざけた口を引き裂いて差し上げましょうか」

 修羅が出た。

「いえすいませんごめんなさいわすれてください」
「デリカシーのない男は嫌われますわよ。 ……ち、ちなみに関係ありませんわ」

 平謝りに謝ってなんとか許してもらう。
 そしてどうやらこれも違ったらしい。

「えーと、その、本当に気のせい?」
「ですから最初からそう言っていますわ。 というか、いったい私のどこをみたら不機嫌そうだと見えるのですか!」
「いや……」

 割と全身からそういうオーラが滲んでるし、最後のエクスクラメーションマークなんかいい例だと思うんですが。
 髪の毛とかが赤く染まって熱とか奪われてもおかしくない気がする。
 流石に言ったらフルスイングで頭を打たれそうだから黙っておくけど。

「っ……!!」

 突然、佐々美さんが顔をしかめた。
 僕から視線を切って、体をぶるぶると震わせる。
 まるで僕と顔を合わせたくないかのようだ。

「佐々美さん?」
「な……なんでも、ありませんわ!」
「いや絶対なにかはあるでしょ! そんな反応されて気にならない方がおかしいよ!」
「だからなんでもっ……〜〜〜〜〜〜〜!!」

 言い返そうとした佐々美さんの表情が怒りの表情から一気にゆがむ。
 その上、そのままその場にしゃがみ込んでしまった。

「佐々美さんっ?!」

 慌てて佐々美さんに近づいて様子を見る。
 佐々美さんはもう僕を気にする余裕もないようで、ひたすらに体を震わせていた。
 もしかして佐々美さんは何かけがとか病気にかかっていたけどみんなに心配をかけまいとしていたんだろうか。
 もしそうだとしたら……!

「っ……!!」
「佐々美さん、大丈夫? 何処が痛いの?」
「……、……っ」
「佐々美さんっ!」

 口をパクパクさせているけど、あまりに痛みが強いのかうまく声が出ていないようだ。
 早く何とかしないと、佐々美さんが大変なことになるかもしれない。
 あぁもう、どうしてこんなになるまで黙ってたんだこの人は!
 いや違う、今は怒ってる場合じゃない。
 それよりも佐々美さんが今どういう状態かを性格に把握して、対処を考えることだ。
 保健室に行くにしてもその前に病状を把握しておいた方がいい。
 けれど、佐々美さんは今うまく話すことができない。
 ならばどうするべきか。
 まずは何かしらのサインを見つけるべきだ。
 最も簡単なのは手が何処に当たっているかだ。
 手当てと言う言葉もあるように、人間は痛みを感じている場合本能的にその部分に手を当てる習性がある。
 だから、佐々美さんの手がどこにあるかを探れば痛みの場所も見当が――――見当が?

「佐々美さん……?」

 まさか。
 僕は目を一瞬疑った。

「その、もしかして……」

 復習しよう。
 痛みの場所を見つけるにはその人の手が何処に置かれているかを探せばいい。
 そこが痛む場所だ。
 おーけー。ここまではいい。
 では佐々美さんは今どこに手を当てているか。

「……虫歯?」

 佐々美さんの体が大きく震えた。
 ……やっぱり。
 僕は安堵のような、呆れたような溜息をひとつ吐く。

 佐々美さんの手は、彼女の頬に当てられていた。




「だってだってだって、歯医者は痛くて酷くて恐いじゃないですか!」
「あぁ、うん、そうだね……痛くて恐いよね」

 バレてしまってからの佐々美さんはまるで、というよりもまさに子供だった。

「でも、行かなきゃ直らないよ。虫歯は自然治癒はしないんだから」
「嫌ですわ! 絶対行きませんわ!!」

 この通りである。
 虫歯と言うことが解ってからは、すぐに歯医者にいくようにと説得を始めたのだが、一向に佐々美さんは首を縦に振ってはくれない。

「このままじゃずっと痛むよ? むしろこれが原因で死んだりするかもしれないよ? かの徳川14代将軍家茂公だって死因は虫歯だし」

 嘘だけど。
 ちなみに家茂の死因は病死(脚気)だけれども、晩年は歯の半分以上が虫歯だったとか。

「う……で、でも今すぐには死にませんわっ」

 ちょっとたじろぐ。
 ここは攻め時かもしれない。

「てい」

 ぷに。

「〜〜〜〜〜っ!?!?!?!?!」

 軽く指の腹で佐々美さんのほっぺを押してみる。
 それだけで佐々美さんは痛みに耐えられずに悶絶した。

「な……にをっ……!」
「ほら、もう相当悪くなってるじゃない……早くなんとかしようよ」

 僕だって虫歯になったことはある。
 歯医者が怖かったこともある。
 というかあの金属でチュイーンとするのは未だに怖い。
 とくに大きめな奴でガリゴリ道路工事みたいにされると尚更だ。
 けれど、その苦難を乗り越えなければ今後もずっと歯の痛みに襲われることになる。

「そんなんじゃソフトボールにだって集中できないでしょ。もうすぐ最後の夏なのに」

 優しく諭すように説得を試みる。
 佐々美さんは基本的にプライドが高いからただ行けと言っても行くはずがない。
 だから、プライドを傷つけず、むしろ行かない方がプライドが傷つくという形に持っていけばいい。

「中村さんたちだって、虫歯が原因で佐々美さんが全力を出せなかったって知ったらどう思う?」
「そ、それは……」
「以前、惜しいところで負けたライバルに勝ちたいんでしょ? 櫛枝さん、だっけ」
「…………」

 いつだったか、佐々美さんが教えてくれたことがあった。
 全国大会で一度だけ戦ったライバル。
 本当に楽しそうに、そして真剣にソフトボールをするプレイヤーだった、と佐々美さんは嬉しそうに語っていたのを覚えている。

「今直さなきゃ、大会に間に合わないかもしれないよ」
「う……わ、解りましたわ……」

 渋々ながら漸く佐々美さんは頷いてくれた。

「ですが、一つだけ条件がありますわ」
「条件?」
「えぇ……耳を貸してくださいます?」
「耳を?」

 周りに人がいるわけでもないのに。
 ちょっと不思議に思いながら耳を貸す。
 一体なんだろうか。

「ごにょごにょ」
「え、えぇー!?」
「こ、声が大きいですわよ!」
「いやまぁ、それは、別にいい、けど……」

 ちょっと戸惑いながら答えると、佐々美さんは少しだけほっとした表情を見せる。
 うーん、でもまさかそんなことを頼まれるとは思わなかった。

「じゃあ、明日から歯医者に通うってことで」
「えぇ、解りましたわ。それと、このことは絶対に秘密ですわよ!」
「解ってます……」

 バラしたりなんかしたらどんな目に合わされるか解らない。

「じゃあお休み。また明日ね」
「えぇ、お休みなさい」

 寮の前で別れる。
 とりあえず明日から歯医者に通うと約束はしてくれたものの、さっきの交換条件はどうしたものだろうか。

「……まぁ、いいか」

 所詮なるようにしかならないだろうし。
 悩んでも無駄だと判断した僕は、そこで考えを打ち切って部屋に戻ってからはいつも通り宿題を終えて真人と遊び、そのまま眠りに就いた。



 そして翌日から、佐々美さんは約束どおり歯医者に通うことになる。
 尚、佐々美さんの虫歯が完治するのにはおよそ2ヶ月もの時間を必要としたのだけれど、その間、毎回のように受付の看護師さんに白い目で見られ
ていた男子が居たということは、なんというか、秘密にしておくといいのかもしれない。







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